満足できない

満足できないことについてです。

何をやっても満足できない。

欲しかったものが手に入って嬉しいと思ったその一時間後には、次の何かを必死に物色している。

何をやっても、自分なりの成果をあげたとしても、欲しかったものを手に入れても、買っても買っても、結局は満足できない。

私は、ネットショッピング中にこのモードに入ってしまうと、買っても買っても満足できないことが分かっているので、カートに入れてからしばらく時間を置くことにしています。

また、こんなときとは、高額な買い物をしても、安いものを買っても同じだということも分かっているので、洋服なら2000円以内で探すようにしています。

そして後日、本当に必要なものだけ買うことにしています。

それでもたまには、買いすぎてしまうんですが。

しかし、この満足できない性質?性格?!には悪いことばかりじゃなく、いい面もあります。

私がプログラミングの基礎を覚えることができたのは、満足できない・少しの妥協もゆるせないというこの性格があったからなんです。

自分のサイトを完璧に仕上げたかったので、独学でHTMLとCSSを覚えてしまったんですね。

こんな時には、この困った性質が力を発揮してくれます。

また他にも、デザイン学校の夜間クラスに通って服飾を学んだり、独学で油絵を描いたりしたのも、この凝り性、こだわりが強いという性格のなせる技だったと思います。

満足できないことがプラスに働くこともあります。

しかし、満足できないことの根源的な部分に目を向けると、それは辛く苦しい部分があります。

何をやっても満足できないのは、何をしてもそれをしている自分に満足ができないことです。

つまり、自分で自分を認めることができないということですよね。

究極的に自分を認めていないから、それを買い物や何かで紛らわそうとします。

しかし、究極的に認められない自分が何をやっても、結局は、だめな自分からは逃れられない。

一時的な快楽で紛らわせようとしても、認められない自分は変わらずそこにいるんです。つらいなあって思います。

だから、何をしても、何を買っても、何をやったとしても、それが素晴らしい成果を出したとしても、だめなんです。

どうして、こんなことになってしまったのでしょうか?

そして、満足できない自分への処方箋はあるのでしょうか?

この問題の根源は、子供時代、幼児期、乳児期、胎児期の自分と家族・母親の関係です。

そして処方箋は、自分で自分を認めてあげること。これしかありません。

仮に優しさで他の人が自分を認めてくれたとしても、次もそれを望んでしまいます。おそらく次はないでしょう。私はそう思います。

自分で自分のやったことが認められないのは、子供時代にお母さんが認めてくれなかったからです。

子供にとっての母親は全てであり、全世界のようなもの。

母親から受けた否定、拒絶、拒否などの体験は、そのまま自己否定となってしまいます。

世界は私を拒絶したんだ、私はだめな存在だ、私は一番大好きな人から否定された、生きていても仕方ない・・・・

そんな風に思ってしまった、そんな体験が元にあったと思います。

今の大人の自分であれば、否定されたとしても、全人格を否定されたとまでは思わないと思います。

しかし、子供にとっては、存在意義がないと言われたのと同じでした。

人格を否定されたと思い込み、絶望したんです。

これが満足できない原因です。

さて、そんな自分自身への処方箋、まずだめだと思っている自分と向き合う事が必要になります。

ネットショッピング

過食

〇〇中毒、◇◇依存

そんな依存的行動をしている自分と向き合います。

それは、辛く苦しい作業でしかありません。できれば避けて通りたいです。

しかし、まずは、何かに依存していなければならないほど辛いことを認めます。

母親から否定された絶望を抱えて生きているんだと。

これは、本当に辛い出来事なので、生きていることが奇跡だとも思います。

これまでよく生きてきた。

がんばった。

生きているだけで凄い。素晴らしい。私は本当にそう思います。そう自分自身に何度も言ってあげました。

誰も言ってくれません。でも、なにがあっても自分だけは自分の味方だと決めました。

そうやって少しづつ(本当に少しづつしか進みません)、自分で自分を認めてあげていくことで、満足できない自分から、満足できる自分へと変わっていけると思います。

それも自分あれもこれもみんな自分だと、いいことも良くないことも全部認めてあげることができるといいなと思います。

可愛いブッダ

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