帯状疱疹を治した2

職場での帯状疱疹の件のしばらく後、私は下半身の帯状疱疹で悩まされることになった。

一度だけ右手の親指と人差指の間に小さなものが出来たが、あとはすべて下半身、腰から下にできた。足の裏にも、陰部にもお尻にも、主には両足にできて、すべて激しいかゆみを伴った。

その時には、自分の内面を見つめるしか方法はなかった。病院に行くことは大量に発生した時一瞬考えたが、求職中で、保険証がなかった。が、あったとしてもおそらく病院には行かなかったと思う。

それで、ヤングリビングかドテラのメディカルオイルを使ってみた。イランイランがあったので下半身に塗ったら、足はとても喜んでいた。オイルをとても吸収していて、既に出来ていた帯状疱疹の治りは早くなったような気がした。しかし、新しい帯状疱疹は毎日できていた。やはりイランイランは、この件の用途とは少し違っていたようだ。他のオイルを試そうかとも思ったし、おそらく帯状疱疹にピッタリのものはあるはず。週種類をブレンドしたらいいのかも、とも思ったが、何となくそれはやめた。

私は、この年まで、自分の人生を生きたことがなかったことに気がついた。

そのことは何となく分かってはいたが、向き合うしかないのだろうと観念した。

私が好きなことだと思っていたことの殆どは、実は父が好きだったこと、母が好きだったことだ。もちろん、そのうちの5%程は私も本当に好きなのだろうが、母と父の存在関係なく好きなものを私は選択できない人だった。

家系の縛りも確かにあり、両方の家系での私の役割というものがあった。

父方の家系では、本家の長男が最も力を持てるように、エネルギーをそこに向かわせるようになっていた。男性が女性よりも優遇され、長男が一番偉かった。私の父は末っ子で、その子供である女性の私は、家系の中で最も要らないものという扱いだった。

母方の家系では、女性は幸せにならない、女性の幸せを生きない、ということが繰り返され、それにより自分を最も危険なことから守るという家訓が脈々と続いていた。しかも、女性より男性の方が頭がよく偉いのは当然で、影では男性をあざ笑い、人生をかけて復讐するという家訓だった。私の母は、父に人生をかけて復讐しているように見えた。

そんなこともあり、私は今まで両親がOKしたことしか選択できなかった。

そして、帯状疱疹は、身体が私のこれまでと同じ選択にNOを言っているのだと理解するようになった。

これは、行動するしか解決しない。

それで、私は自分がかねてからやりたかったことで、やらずにいたこと、それは私の魂上の使命だったが、それを選択した。もう、これを離すことはないと決めた。

私が好きなことをやったとしてもうまくいかないかもしれない、きっとみんなにがっかりされる。とはずっと思ってきたこと。

そのがっかりするみんなとは結局は父と母のことだ。

でも、もう関係ない。

そうしたら、帯状疱疹はそれ以降出なくなった。

今まであった帯状疱疹も数日で痒みがひいて、治っていった。

人生で私はずっと帯状疱疹を抱えてきたが、原因がわかったし、魂レベルの使命を手放そうとしなければ、もしくはそれと同じようなことをしない限りは出ないのだと思った。

これをずっと続けてきたことに関しては、それ相応の理由があったとは言え、自分自身にごめんと誤った。自分をいたわるために手作りの石鹸をつくろうと思う。

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