母と子供 魂の転生

私の子供時代、特に生まれたばかりの頃のこと。

あまりご飯を与えられなかったり、おむつの中に大の方をすると、母親がおこったり、熱湯を口の中に入れられたこともあった。

もちろん頭の記憶にはないのだが、悲しいかなそういった大きなトラウマは体の記憶に残ってしまい、一生を通して影響を受けてしまう。

ぎりぎり覚えているのが、私がいかにだめな子供かということを、おばや他の人達に母が訴えていたことくらい。

その後、私が生きつづけること、死んではくれないのだと母は諦めたようで、私が小学校3,4年くらいの頃には、一変して良い母親を模索し始めていた。だから、私の顕在意識には、虐待のこともちろん、家の中で、居場所がなく、いたたまれなかったことなども覚えてはいなかった。

しかし、いつも、ここは私の居場所ではないという感覚はつきまっていた。

スピリチュアルに傾倒してからは、宇宙から来た魂だからそう思うのだろうと思っていたが、実際には乳幼児の頃の虐待、放置が原因で、どこにいても私はここにいてはならないと思ってしまっていたのだった。

前世では、同じような状況で、確かロンドンかイギリスで生まれたが、10代で自殺したことがあった。

その前の過去世でも、母親の愛情を得られずに、結局自殺していた。

それを踏まえての今世。

しかし、なかなかの過酷さであったと思う。ご飯を与えられず、2回ほど心臓が止まっていることは、体の記憶に残っていた。

母親から死んでほしいと願われる子供は、全く普通の成長は望めないと思う。私も、依存症、依存的な行動を繰り返していたし、もっと悲惨なこともたくさんあった。

依存的な行動は、母親からの拒絶を思い出しそうになると反射的に依存的な行動に走ってしまうから起こる。

例えば、摂食障害。例えば買い物依存。一日中動画を見続けたりもした。人を傷つけたり、自分がわざと傷つくことをしたり。いいと思って続けてきたことを自分でぶち壊したり。

とにかく、拒絶されたことを思い出さないためならなんでもやってしまう。

一方で、私は幸いなことに、アルコールを受け付けない体だったので、アルコール依存にはなれなかった。お酒が飲める体質だったら、間違いなくアル中になっていたと思う。

また、ドラッグにもなぜか縁がなかった。19歳の頃に週3でクラブに通っていて、家に戻ると洋服がドラック臭いことなんてしょっちゅうだったのに、お呼びがかからなかった。

だから、その点ではラッキーだったとも言える。

今生では、自殺はしないようにギリギリで設定されているように思えた。

私の人生の困難さについては、もういいかなあという感じ。自分で困難を選んできたことが分かってきたから、それはもういいかなって思う。

死にたいとずっと毎日思ってきたが、その原因も分かったし。しかし、原因がわかったからと言って、死にたいという気持ちがなくなるわけではない。

ただ対処法を私は知っていることと、何より死なない一番の理由は、いま自殺したら、次の人生は、もう一度最初からやり直ししなければならないから。だから死なないというより、死ねないに近い。

もう一度最初からなんて、二度と無理。

こう書いている私だが、今現在の母親への気持ちは、実は感謝に近い。

私のために、この役割を引き受けてくれてありがとう。私の一部は、それが本当だと分かっていて、母の人生は、また母のものであって、それは完璧なものであることもわかっている。

そして、私の人生も完璧なもので、困難だと思ったことも、私がその時に判断しただけで、本当は困難などではなく、愛に満ちたことだと思うこともできたのだ。本当に。

まあ、同時に起こっていることは、エネルギー的に未だに母親と癒着している部分があり、私は母をエネルギーで助けてしまっていること。つまり共依存は未だ続いている。だから、手放しで感謝とはいかないのが現実だし、あらゆる場面で母親の幻影が頭をよぎるのも事実。よろしくない方向に。

だがそれも、以前よりも薄れてきている。依存関係もかなり解消されてきた。

母とすれば、私とのこの共依存・癒着関係を続けたいわけで、それは、私がお腹にいるときから、私のエネルギーを奪い続けているからで、無自覚でそうしていると思う。

そして、私は、今母親と向き合って、この依存関係の落とし前をつけたいと思っている。

母とは、魂のつながりがあり、一緒に何度も転生している。

彼女のことは理解はできるけれど、私とは全く違う。こんなに考え方も何もかも違う親子もいないと思う。しかし、それも彼女の精一杯の人生なのだ。

過去世では、私が彼女をいじめたこともあった。その意味ではお互い様。

ここまで生きてきたから、死ななかったからわかったこともたくさんある。

スピリチュアルを学べば、そんなことは本を読めばわかることではあるのだが、実際に自分で実感するのとは違う。

本当に実感として、この役割を引き受けてくれてありがとうと思い始めている。

そして、今の価値観ではそれが厳しく、また人権侵害、虐待だと思えるようなことであっても、誰もが、それがいいと思ってやっている。

悪いと思ってやっている人はいない。

親から教えられたこと、家系から受け継いできたこと、魂の転生からも、本当にそれが最善だと思ってるからやるのだ。

また実際に、私の父方の家系で脈々と続きてきたことがあったのだが、それをやり始めたのは、過去世の自分だった。そんなこともあった。

なんだか最近、社会的な価値観が削げ落ち始めていて、魂レベルの自分へと変容し始めている。

例えば40代だったらこんな感じ、といった社会的な標準が全く意味をなさないことも実感し始めている。

みんながそのままで最善なことがわかり始めている。

そして、これまでの人生において、常に最善を選択してきたことが、わかり始めている。

虐待?殺人?

身体に残っていた虐待?の記憶。

食べ物を与えられなかった。

心臓は何回か止まった。顔に布をかけられたりもした。埋められたか、真っ暗な中に入れられたこともあった。

その時には高次元との間で、生きるかどうかを問われて、私はもう一度生きることを選んだ。

母は、子供を産む必要があったため、私を産んだが、自分の責任が終われば、私は必要なかった。おそらく、ある程度まで私が生きれば、その後死んだとしても、自分の責任は問われないと思っていたようだ。

子供を育てるという認識がなかった。自分の都合で子供は存在していた。

そんなことがあって、私は母の裏の心を読むようになっていった。

人の心の裏側を読むようになった。

生きるためには人の心の裏側を読んでそれに従うしかないと思っていた。

嫌な性格になったと思うが、生きるためには仕方なかった。そうするしかないと思ったのは本当に乳児か幼児の頃だ。責めるなんて出来ない。

愛情をかけてくれるはずの母親から殺されかけたとしたら、どんなに嫌な人間になったとしても仕方ないと思う。実際に嫌な人間だったと思う。ここ数年は、自分の器の小ささに笑ったこともある。

愛着障害。私のような愛情を受けて育たなかった人をそう呼ぶ。

インナーチャイルドの癒やしは必須となる。私も毎日やっているが、インナーチャイルドに向き合えるようになるまでには年数がかかる人もいる。私の場合にはスピリチュアルに目覚めてから7年か8年はかかった。それは本当に癒されてしまうし、本当に自分に向き合うことになるからだと思う。

そして実際のところだが、今日は仕事に行かず、一日何もせずに過ごした。夕方になり情けないと涙が出た。

しかし、ミカエルがやってきて、そう思わなくてもいいこと、大きな山を越えようとしているから、そうなってるだけ、今日はピザを注文して動画を見続けてもいい。自分をダメだとは思わないでと言ってくれた。

明日は仕事。今ごろは再就職している予定だったが、うまくいかない。その日暮らしだなあと思ったりする。

それも、今心の準備してそうなってるから、ちゃんと進んでいるから大丈夫と、ミカエルや天使たちが言ってくれた。

いいこともある。私は依存症だった。その時々で、過食だったり、動画を一日中見続けたり、買い物中毒になったり。

しかし、そのどれも、もうやっていたない。摂食障害も、買い物中毒も、なくなったし、動画も見なくなっている。今日は久しぶりに見たけれど。タバコは大昔に吸いたくなくなった。

なんでやめられたかといえば、過食をしても、買い物をしても、動画を見ても、気が晴れることがなくなったからだ。それよりも、美味しいものを普通の量食べるほうが楽しくなったし、本当に好きなものを買いたいと思うようになったし、本当に見たい映画だけを見たいと思うようになった。

虐待?殺人?今となっては分からないが、そんな中を生きてきた私、人生はただ過ぎていくのを見ているしかないと思っていた私においても、少しづつ自分を取り戻すことができていると思う。

ADHAと家系

発達障害っていうと、会社では絶対に話せないことで、そういった人種はここにはいられないようなそんな風潮。

実は私もグレーゾーンだと自覚したのはここ1,2年。

もちろん、発達障害的な症状は、自分が望めば癒やすことは出来ると私は思っている。

私の場合には、父との関係性の中でADHDっぽくなったと自己分析している。

父というより、家系との関係と言ったほうが正確かもしれない。

私の家系での役割は、最後に生まれた要らない子供。だからエネルギーを家系の重要な人物や、家系の存続のために使われることに同意すること。同意するなら生きていてもいい。みたいな感じだった。

それで、私の人生の重要な場面になると家系からの、“それって本気でやるわけじゃないよね。あなたの人生なんてないんだから”的なエネルギーが私を取り囲むようになり、その時にADHD的に、多動で衝動的になる。

いつも大切なことを決める時には、どうしても衝動的に決めてしまってい、あとで後悔もしたが、それもそういうエネルギーの中で生きてきたからだと思う。父が生きていたときは父がやってきてことごとく私の希望を封印した。本来の決定ができなくなる。亡くなってからは家系のエネルギーがやってくるようになった。

そして、自分が望んでいたことを、望んではいないのだと思い込ませ自分を欺いていた。

だから、最近でもよく、私って何が希望で何が好きなんだろう?と分からないことがある。

ただこれらは私が生まれてからそうだったので、自覚するのにかなりの年月を要した。

注意欠陥については(これってなんかひどい言い方だけれど)、これまでに必要な持ち物を一切合切持っていかなかったこと多数あり。昨日ちゃんと見てたのに〜

私の場合には、前日に全部用意しておこうは対策にならない。

しかし、毎回全部忘れるわけではなく、大概はちゃんと持っていく。

今は、もしかしたら忘れる時ってもともと行かなくてもいい要件なのかも?と思うようになっている。

私の場合には父が注意欠陥多動性障害であり、父親の家系がそうだったと思っている。ただ父の場合には、その衝動性がいい結果につながっていた。多動の人は割りと多いと感じる。

これとは少し離れるが、私よりもずっと年上の人の中にも、どこから見てもインディゴチルドレン(宇宙から来た魂)だと思われる人とこれまで何人にもお会いしてきた。その人達の中には、何かの瞬間にスイッチが入って怒り出すと止まらない人とかもいて、決して素晴らしい人格だと思うわけではなかったが、今のようにスピリチュアルのない、発達障害の概念もない時代に生きてきたんだと思うと、同じ宇宙出身としては何ともいえない気持ちになった。

しかし、これからは宇宙人ですとか、スターシードです、プレアデスから来ました。などという挨拶が出来る地球になると思うと、みんな自由になれるなあと感慨も湧いてくる。

うつと過食のメカニズム

うつと過食の関係について。

うつ、気分の落ち込みや体調不良全般にも関わる、血糖値とエネルギー消費の話しです。

過食な時には、一気にたくさんのものを食べてしまいますよね。

その時、身体の中で血糖値が一気に上昇します。

脳は糖分の吸収により快楽物質を放出しますので、気分が良くなったり、落ちついたり、安心したりできます。

過食の時はこのようになっているんです。

一方で、身体はというと食べた分のたくさんのエネルギー・カロリーを消費することになります。

エネルギー消費だけで身体はめいっぱい、くたくたです。

そして、気分がいいのは一時的なものに過ぎません。

脳がハイになる時間が過ぎれば、身体の状態に気がつくことになります。

身体はその時にはエネルギー消費で必死になっているわけで、実際には疲労困憊しているでしょう。

これが、何もしていないのに疲れてしまうと思うメカニズムです。

さらには、気分が良くなっていた分だけ、落ち込みも激しくなります。

血糖値が急激に上昇した後は、今度は一気に下降してしまうためです。

自律神経のバランスがくずれて、うつや気分が落ち込みやすくなります。

まとめると、過食→気分が良くなる(落ち着く、安心する)→気がつくと何もしていないのに身体が疲れている→落ち込む

このパターンです。

自分の状態を客観的に分かることは大切なことです★

ガーゴイル