母親の押し付ける愛情が苦しい

・・・・・私の母の口癖が、『あなたのために言っている。母親の言う言葉には、仇がないんだから。』というものでした。

中学生になり、学校区が広がって新しい友達ができたころのこと。

一緒に、電車に乗って少し離れた町へ遊びに行く計画を友達と立てたんです。

そして私はおそらく無邪気に母に言ったんでしょうね。

それを聞いた母は烈火のごとく怒り、

『どこの馬の骨かもわからん子と一緒になどダメ。』と私に言ったんです。

母の口から、そんなひどい言葉を聞いたのも初めてでしたが、

大切だった友達をそんな風に言ってしまう母に対し怒りがこみあげて、

『そんな言い方はひどい』などと言い返したものの、母は絶対に許してくれませんでした。

後日、私は友達に行けなくなったことを伝え、それからその子とはあまり話さなくなってしまいました。

その挙句、あの『母親の言う言葉には、あだがないから。』という言葉を聞かされた時には、憎しみ以外思い当たりませんでした。

この言葉は、母親が自ら自己正当化して、愛情を私に押し付けるための常とう手段でした。

私はこれを繰り返し繰り返し聞かされて、小学5年頃には過食は始まっていましたし、この中学の頃には既にうつが始まっていたように思います。

・・・・・

反抗したこともあったけれど、親が強すぎて、そのうちにあきらめてしまったように思います。

何せこういった感情的な場面になると、3歳児と母親というエネルギー的な構造はそのままです。

摂食障害の原因となったのは、こういった母親からの押し付けによる苦しさから逃れたかったから。

その母親の口から「あなたのために言ってあげている」と言われるほど辛いことはなかったです。

それらの辛さから逃れようと過食を止めることが出来ない。

辛いからついたくさん食べてしまう。食べたことに罪悪感を感じて、今度は拒食となる。

これは、親元を離れても続きました。

気が付きませんでしたが、ずっと呼吸が浅かったり、風邪をひきやすかったり、思考が働きすぎたり。

さらに進むと、一部の感情がなくなったり、自分を麻痺させるようにもなっていきます。

この状態だと、うつ状態だと言ってもいいと思います。

うつは、自分でも気が付かないほど怒りをため込んでいる状態で、関節や背中、体が痛かったりします。

自分の人生を支配されていて、怒りをためて、うつになり、摂食障害となっている。そしてどのくらい辛いかを自分でもわかっていない。そんな状態が私は長く続きました。

かなり深い部分に、この母親との課題が隠れるようにありました。

10代の頃の過食、摂食障害が治っていないことに気がついたのは、2年前でした。

私の場合には、過食を続ける時期があり、その後で食べたくない時期がやってくるので、年間を通して体重が一定だったために、気が付かなかったのです。

ここを癒やしていった時に、摂食障害は初めて治りました。

食事が楽しみになっていたことにいちばん驚きました。

以前は、食べる=母親の自己満足の愛情を押し付けられることだったので、食べることは苦痛そのもの。人と食事をすることは大の苦手でした。

友達がカフェやレストランでメニューをどれにするか悩むのを見ても、理解できませんでした。楽しんでどれにするかを決めたことがなかったんですね。

それを思うと信じられないですが、今は、今日何を食べようかな〜と、食べることが楽しみになっています。

たまに、食べたくない時もありますが、そのときでも、単なる食べ過ぎだったりと、信じられないくらいの平和ぶりですね。

はじめて過食した記憶

小学5年のとき、習字の帰り、バス停前の店でポテトチップスを一袋買い、家に帰って全部食べた。それを繰り返した。

その時既に、過食だった私。

高校生になってからではなかった。

その当時私は、両親の重圧に押しつぶされそうになっていた。にくかった。

死んでほしいと願った。

当時は気づかないようにしていた感情もあったに違いない。

そんなことを思い出して、今日は小5の私に寄り添ってあげようと思う。

うつを自分で治したこと

精神科には1年かかっていた。病院を変えてやっといい薬を処方してくれる先生が見つかった。そこから1年半ほど。

まあいい感じで生活はできていて仕事もしていたが、このまま薬を一生飲み続けるのだろうか?という疑問がわきあがってしまった。例によって、そう思うと居ても立ってもいられないのが私。

当時ちょうど退職したところだったこともあり、環境由来の(生来のではない)極端な正確がこの時ばかりは幸いとなった。

飲んでいた薬をやめてしまったのだ。

まあ、予想はしていたが、2,3日で完全に薬の効果は切れてしまい、体中に鈍痛を感じるような、また頭も鈍痛で鈍るような感覚に襲われた。頭も身体もただただ重いし、何も考えられない。そんな感じだった。

しかし、ヨガを始めていてかなりハマっていたこともあってか?、何故かこのときだけは、絶対に大丈夫、なんとなるという超ポジティブシンキングは止まなかった。

早朝に起きて、太陽の下でヨガを続けた。午前中に日光を浴びることで、長らくの夜勤勤務の体内時計がもとに戻る調整にもなったようで、夜はよく眠れるようになった。

また、パワースポット巡りにも出かけた。日帰り旅行や、車の運転もできるようになると、近くの森林などで過ごしたりもした。

体調が敏感になっていたのもあり、いい気が巡っているところでは、体が癒されるのが感じられた。

また、タッピング療法の本を読んで、やってみたりもした。しかし、この方法はコーヒーを飲まないようにとのことで、コーヒーを飲んでしまうと効果がなくなってしまう。コーヒー好きの私には残念ながらそのとおりだったが、このやり方を知って、身体の中の気のめぐりについての体感を得たと思う。

ヨガ、日光浴、森林浴、パワースポット巡り・・・・

本当にこれだけで、3ヶ月後には、新しい職場に転職を果たしていた。

うつを当面は克服したと言っていいと思う。

当面はと書いたのは、深い部分では、全くうつ的な傾向は残っていたからだ。後にヒーリングを学んで自己ヒーリングを続けた際に、そのへんが浮上してきて、私全然うつじゃん。と思ったことがあった。

しかし、服薬をやめて、職場で仕事を続けられるほどには体調が回復したのだから、大成功と言っていいと思う。

この件だけで本一冊書いても良いのでは?と言われたこともあり、私の自慢の一つでもある。

M45

霊体とのいろいろ

うちの実家の引越し先が土地の波動が悪い場所だったために、私はどうやら浮遊霊が何体も取り憑いているのが普通だったようだ。

あまりに自然にそうだったため、自覚がなかったのだが。

しかし、一番初めに霊体が私の身体に入ってきた体験はよく覚えている。

じいちゃんの葬式のときだったと思う。確か10歳。いとこ達と久しぶりに会ったこともあり、私たちはじゃれ合って遊んでいた。そのうちになんの話題かは忘れたが私は笑いが止まらなくなって、笑い転げていた。そう思った瞬間、「不謹慎だ!」という意識と一緒に私の中に何かの存在が急に入ってきて、転んだと記憶している。今にして思えば、浮遊霊が入ってきたんだと思う。これは、はっきりと思い出せる最初の記憶だ。

その他にも、おとなになってからは渋谷のスクランブル交差点で急に目が回りだしたりした。当時は人ごみに酔ったと思ったが、浮遊霊が入ったのだと思う。

ということは、私はもともと霊媒体質だったということになる。セッションで、「オーラの中に霊体が入っている人はたまにいるが、身体の中に入っているのはあまり見たことがない。」と言われたことがある。

確かに、いつも空想がちだった。家にいるのが苦しかったのと、自分を理解してくれる人が誰も居なかったことも原因の一つだ。

子供は霊の存在はよく見えている。だから低い存在の霊でも、話し相手としては良かったのだと思う。寂しさをそれで紛らわせていた。

当時は一人っ子はまだ少なかった。一人っ子の私は、「いいわね、なんでも買ってもらえて。」とか、「大事にされてて幸せね。」と大人たちに言われていたが、その言葉ほど私を傷つけるものはなかった。そいつを殺してやりたいと思った。

私は、日常的に、両親が同時に何かの事故で亡くなったという葬式の場面を空想することで、何とか心のバランスを取っていた。

10歳ころには、過食が始まったと記憶している。

私は、誰も私のことを分かってくれないと常々思っていた。だから、自分のことを話したことは30代後半まで一度もなかった。

というわけで、小さい頃に寂しさのあまり霊と交信して、そしてそこでも傷ついたが、寂しい気持ちのほうが上回った。

その後、引越し先が土地の波動の低い悪い場所だったため、多くのうかばれない霊がさまよっていた。そんな中で育った。

私が自分のエネルギーワークをするようになっても、この沢山の浮遊霊を抱え込んでいる問題が、真正面に来ることはなかった。気が付きもしなかった。

もっと、インナーチャイルドワークや家系、過去世のことが先に癒す必要があったからだ。

しかし、とうとう、低波動な霊体・浮遊霊と繋がっていたために、波動が上がらなくなり、これまで出来ていたセッションもできなくなる日が来た。

この霊体との課題が真正面に来てしまったのだった。

私は、最初、誰かにサイキックアタックされているのかと思ったりもした。

まあ、それでも自分の問題であることには違いはなかった。

それで、除霊を専門にする人にも見てもらったりしたが、結局、どの次元からセッションを行っているのか、波動がどの程度高いかなどが重要なのだと分かった。く結局は、ドルフィンのやり方が最適で、契約を解除していくしか方法がなかった。

と同時に、小さい頃、2歳3歳頃までを中心に癒やし続けた。

自分でも第7、6チャクラに霊体がついているのが分かり、それが母親との関係を健全なものにすると私が決めない限りは、霊体を取り除くのが難しいことが分かってきたので、それに取り組むことにした。

しかし、この期間良いこともたくさんあった。

転職して、初めての職業にチャレンジしたことだ。(試用期間内でやめることにはなったがナイスチャレンジ!だと思っている。)

そして、この低級霊の課題を終わらすためには、自分がほんとうの意味で自立(自律)している必要があるとわかったこと。

この文章を書いている時点では、未だ行ったり来たりしているが、二元性を乗り越えることを私は意図して、それを実現しようとしている。

つまり、愛着の課題や、社会生活に関する課題は引き続きあるにせよ、もはや誰かを悪くすることもせず、自分を悪くする必要もない場所に行きたいと願ったのだった。

そして、それはもう叶えられると思っている。

もう一つ、目に見えない存在とは言え、低級な霊体や、それなりに人徳のあった霊体だったとは言え、そんな存在に、好き勝手を私の身体の中や私の空間でされることに対して、怒りがこみ上げてきたりもした。

もう、こんな状態止めたいと本気で思ったことも課題解消のきっかけになったと思う。